オートキャンプ・リゾート大島、串本の旅・・・⑥
3日目 樫野埼灯台~海金剛。
今日はもう帰る日です。
朝ごはんを食べたら、撤収です。
サクッと撤収と思いきや、やはり2時間ぐらいかかってるような気がします。
結構、時間かかってるね。
キャンプ場を後にして、紀伊大島めぐりというか、樫野埼に行ってみた。
ここにある灯台は、日本最古の石造り灯台の一つらしいです。
この島は平成11年まで、くしもと大橋がなかったので、石を運んだり、灯台を造る工事は、どれほど大変だったんだろうかと思う。
紀伊大島 樫野埼秘話ここの話はおもしろいです。
浦賀での、黒船ペリー来航より、60年も早く、この樫野埼(雷公神社の前の海)に、アメリカの船(レディワシントン号のケンドリック船長)が来てたみたいです。
いや~、ペリーは有名やけど、ケンドリックはなんとなく無名?・・・哀愁やね。
そういえば、日米修好記念館ってのもこの島にありました。
なんでこんな記念館あるねん!って思ってたけど、なるほどです。
さりげなく国際的な紀伊大島だ。
あとトルコ記念館ってのも、灯台の手前のすごく眺めのいい場所に建てられてます。
何でトルコ?って思うんですが、↑の樫野埼秘話に詳しく書かれていて、納得です。
簡単にまとめると。。
明治23年、トルコの船がここ紀伊大島で座礁してしまい、多くの人が亡くなったようです。
その当時、ここ大島の地元住民たちが、献身的に救助活動などがんばったようです。
そして、友情と友好関係が現在まで続いているようです。
以下、秘話を読んで感動して泣きそうになったのでコピーしたのを貼り付けます。←これは簡単にまとめられなかった(笑)
日本人216名を救ったトルコ航空機
イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかったため空港にいた日本人はパニックに陥った。
そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
※この事は、あまり日本人に知られていません。
このトルコ航空機の秘話を読んで、トルコと日本(大島)の人たちの親交に、熱いもんを感じました。
トルコの人は、なんて義理堅いんだろう。トルコかっこよすぎです![]()
てか、日本政府は?
そして、灯台を後にして、海金剛へ向かいます。
海金剛は特に感想ないです。
まぁ、すごいですけど。
マメ子とゲーナは海金剛はもういいというので、一人で行きました。
これで、串本の旅はおしまいです。
帰りは渋滞に巻き込まれてしんどかったです![]()
でも、やはり高速千円はありがたいです♪





































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